同じページを3回読む話。ADHDで本の中身が頭に入らないとき、何が起きているか
同じページを3回読む話。ADHDで本の中身が頭に入らないとき、何が起きているか
通勤の電車で文庫本を開きました。気がついたら5駅進んでいました。手の中の本は、開いたページの位置がさっきと同じです。文字は確かに目で追っていました。声に出さなくても、頭の中で字面はちゃんと読んでいました。ただ、いま読んだ段落に何が書いてあったかと聞かれると、何も出てきません。
降りる駅は通り過ぎていました。
技術書でも同じことが起きます。コードの解説の段落を、上から下まで目で舐めて、最後の行まで来て、もう一度上に戻ります。さっき読んだはずなのに、最初の関数が何をしていたか思い出せません。声に出してみる、図を描いてみる、それでも30秒経つと、もう一度同じ段落を読んでいます。同じページを3回読みました。1ページに5分かかりました。
長いあいだ、これは読書が下手なせいだと思っていました。集中力が足りない、努力が足りない、読解力がもともと低い。違いました。本当の正体は、文字を読みながら頭の中で同時にやらないといけない別の仕事の容量問題です。これは脳の話で、調べたら名前がついていました。
読書中、脳は二つの仕事を同時に回している
人が一段落を理解するとき、脳は同時に二つの仕事をしています。一つは目の前の文字を見て音や意味に変えること。もう一つは、いま読んだ前の文の意味を頭に保ちながら、新しい文と接続することです。
後者の仕事を担うのが、ワーキングメモリです。私はドア効果の記事で、隣の部屋に入った瞬間に用事を忘れる仕組みを書きました。そこでも触れた「脳のメモ帳」が、読書では一段落のあいだじゅう稼働しています。主語が誰だったか、3行前に出てきた条件は何だったか、この単語はさっきの文のどの語を受けているか。これらを頭に保ったまま、目は次の行に進みます。保つ仕事が止まった瞬間、新しく入る文は、つなげる相手のない断片になります。文字としては読めているのに、何も残らない、という状態の正体です。
ADHDでは、このワーキングメモリの容量が小さくなりやすい、というのは臨床の現場でも繰り返し言われていることです。就労移行支援ディーキャリアの解説は、ワーキングメモリを「机のサイズ」にたとえています。どれだけ引き出し(長期記憶)が大きくても、机が小さければ取り出して操作できる量が限られる。読書はまさに、机の上で複数の文を並べて見比べる作業です。机が小さければ、3行前の単語はもう端から落ちています。
この見立ては、実験でも裏付けられています。フロリダ州立大学のMichael Koflerらは、8歳から13歳の子ども78人を対象にした2019年の研究で、読書中に追加のワーキングメモリ負荷をかける実験を行いました。負荷を上げたとき、ADHD群の読解の落ち込みは、対照群よりずっと大きく出ました(効果量はADHD群でd=-0.67、対照群でd=-0.18)。さらに、ADHD群と対照群のあいだの読解の差の41%が、ワーキングメモリの差で説明できました。読解の差の半分近くは、保ちながら扱う力の不足だけで説明がついた、ということです。
落ちるのは「中心的な考え」を取り出すところ
大人で読解そのものが下がるのか、という問いには、2022年にKaitlyn M.A. Parksらが出したADHDと読解の文献レビューが答えに近いものを出しています。複数の研究を集めて見渡したParksらは、ADHDでは全体として読解が落ちているとしながら、課題の形式によって差が大きく出ると書いています。とくに大きな差が出るのは、「物語の中心的な考えを取り出す」「あとで内容を語り直す」といった、まとめる側の課題でした。
これは私の体感と一致します。文字単位、文単位では何も困りません。困るのは段落をまとめて何の話だったかを言うときで、ここで突然手ぶらになります。Parksらはこれを、読解の「測られ方」と相性が悪い結果だ、と表現しています。中心テーマを抜き出すには、段落を頭に並べておく必要があります。机が小さいと、ここで詰まる。
大人を対象にしたDorit Segalらの2023年の研究も同じ方向を指しています。ADHDの大人と対照群を比べたとき、短期記憶と語彙には差がなかったのに、持続的注意と読解には差がありました。とくに、長期記憶には入っていたはずの中心的な考えを「思い出して取り出す」段になると、ADHDの大人ははっきり成績が落ちました。一度は読めた中身が、取り出す段で落ちている、という形の差です。
課題中に静まるはずの回路が、静まらない
ワーキングメモリの容量だけでは、電車で5駅分中身が抜ける現象の説明としては足りません。容量が小さいだけなら、ゆっくり読めば追いつくはずです。ところが実際は、ゆっくり読んでいるあいだに頭の中で別のことが回っていて、戻ってきたら何も残っていません。この「別のことが回る」側を説明するのが、デフォルトモードネットワークの研究です。
デフォルトモードネットワーク(DMN)は、何もしていないとき、考えごとをしているとき、自分について考えているときに強く動く脳の回路の集まりです。健常な脳は、外向きの課題が始まると、このDMNを下げます。下げて、外向きのネットワーク(注意や実行機能のネットワーク)に脳の資源を回します。
ADHDでは、この切り替えがうまくいきません。Bozhilovaらは2018年の総説論文で、ADHDの注意の症状は「DMNの不十分な抑制によって過剰な自発的マインドワンダリングが起きるからだ」と整理しています。論文中で引用されている自己評定では、過剰なマインドワンダリングの尺度と、不注意(r=.77)、多動・衝動性(r=.69)、機能障害(r=.81)の相関がいずれも強く出ています。考えごとが止まらない、という現象は、ADHDの中心的な特徴の一つだ、というのが彼らの主張です。
Mowinckelらが2017年に発表したfMRI研究は、もう一歩具体的です。ADHDの大人20人と健常者27人で、課題中のDMNの「ゆらぎ」を測ったところ、ADHD群ではDMNの活動の時間的な揺れが大きく、課題のあいだじゅうこの回路を低く抑え続けることに失敗していました。ゆらぎが大きい人ほど、課題の成績は悪くなっていました。彼らはこの状態を「DMNを抑え続けることに難があり、課題のたびに抑え直しが必要になる」と表現しています。
文庫本の段落を読んでいるあいだ、ADHDの脳の中では、外向きの読解回路が動きつつ、内向きの考えごと回路もだらだら動いています。一段落の途中で、内向きが一瞬主役を奪う。その瞬間、ワーキングメモリの机に並んでいた前の文の意味は、奥に押しやられます。戻ってきたとき、机の上は空です。だから同じ段落を、もう一度読みます。私が電車で5駅進んだのは、5駅ぶん内向きが主役だったからです。文字は目に映っていたはずですが、机に置く係が留守でした。
だから、頭の外に処理を置く
ここまで読んで、私が言いたいのはこういうことです。同じ段落を3回読んでしまう現象の正体は、二つの脳の事情が重なった結果です。ワーキングメモリの机が小さい、課題中も内向きの回路が騒ぐ。容量と回路の話なので、根性では変わりません。
変えられるのは、机の外に処理の足場を置くことだけです。これは感覚の音量の記事で書いた、フィルターを環境の側でいじる発想と同じ筋です。脳の中をいじれないなら、本と画面と机の側で、脳が小さい机のままでも回るようにする。
具体的に、私が試して効いたものを挙げます。
**章単位、または段落単位で休む。**ADHDの読書解説の多くが共通して勧めるのがこれです。これは大事なタスクの最初の一歩を極端に小さくして着手のしきい値を下げる話と同じで、「本を1章読む」ではなく「1段落だけ読む」まで一歩を削ると、開くときの重さが下がります。Findcareの解説記事も、長い文章は段落や数ページごとに区切ることを集中を保つコツとして挙げています。机が小さいなら、机に乗せる量を最初から減らす。10分読んで2分立つ、章末で一度しおりを挟む、その程度の刻みでも、内向きが主役になる時間を短くできます。
**指で追う、リーディングトラッカーで一行だけ見せる。**注意が外向きから内向きにすべる隙間を、視覚の側で狭めます。リーディングトラッカーは、いま読む一行だけを残して上下を隠す不透明な定規です。読字障害や視覚過敏の人向けに広まっていて、信州大学の研究をもとに作られた製品もあります。私は黒いしおりを横向きに使って、似たことをやっています。視界に一行しか入らないと、ここまで読んだという位置情報をワーキングメモリで覚えておかなくてよくなります。机に乗せる仕事が一つ減ります。
**声に出す、または聴く。**黙読は、視覚だけで全部やる戦略です。音読に切り替えると、視覚、聴覚、発声の三つが同時に動きます。三つ動いていると、内向きの考えごとが入り込む隙間が減ります。日本語の音読についての解説は、音読がADHDの傾向のある人にも有効だという話を、前頭前皮質の活性の話と一緒にまとめています。研究の細部はともかく、体感としては効きます。私は技術書を読むとき、難しい段落だけ小声で読み上げます。同じ段落を3回読む確率は、明らかに下がりました。聴く版(オーディオブック)に切り替えるのも、同じ仕組みで効きます。耳から入る情報は止めないと止まらないので、内向きの考えごとに頭を持っていかれにくくなります。
**外付けのワーキングメモリを作る。**読みながら、付箋やノートに一段落分のキーワードを書き出します。あるADHD当事者の読書記事は、章末ごとに次のページ番号と一語のキーワードを付箋に書いておくことを勧めています。机が小さいなら、はみ出した分を紙の上に置く。机に置いたつもりだった単語が、紙の上にちゃんと残っているので、次に開いたとき空っぽから始めなくて済みます。Koflerらの研究が示したワーキングメモリの足りなさを、目の前の紙が穴埋めしてくれる、というだけのことです。
このどれも、自分を変える話ではありません。本と机のほうを、小さい机のままでも回るように作り変えています。
読めないことは、人格の話ではない
ここまで書いてきて、いちばん書きたかったのはこの一行です。同じページを3回読むのは、脳の特性で、人格の話ではない。
私は長いあいだ、本が読めない自分を、知性の問題だと思っていました。読書好きの人たちに混ざって、難しい本を5ページで挫折するたび、自分の中に「読書が続かない人間」という札が増えていきました。札はだいたい、本を読めなかった日の夜に増えます。実際には、机が小さいのと、内向きの回路が静まらないのが重なっただけです。容量の問題は容量で対処できます。札のほうは、容量と関係なく重くなり続けます。
私は今でも、文庫本を電車で開いて5駅進むことがあります。そのときの対処は、本を閉じて、降りる駅まで何もしないことです。内向きの回路が今日は強い、というだけの日があります。机に乗りきらないなら、無理に机を広げる方向に時間を使わない。次の電車で、リーディングルーラー代わりのしおりを横向きに当てて、一行だけ見えるようにして、もう一度開きます。
同じページを3回読んだら、3回読んだぶんの内容は、たぶん次に開いたときには残っていません。それでも、3回ぶん時間を浪費したわけではありません。机の小ささを知って、紙やしおりや音声を使って机を外に伸ばす方法を見つけている時間です。容量はがんばりで増えませんが、外に置ける足場の数は、増やそうとした分だけ増えます。
よくある質問
- ADHDだと、なぜ同じページを何度も読み返してしまうのですか?
- 読書は文字を視覚情報として取り込みつつ、前の文の意味を頭に保ち、つながりを組み立てる作業です。この「保ちながら組み立てる」仕事はワーキングメモリが担います。ADHDではこの容量が小さくなりやすく、課題中に静まるべき脳の内向き回路(デフォルトモードネットワーク)も静まりにくいため、文字を目で追っている裏で考えが別へ流れ、戻ったときに前の段落の中身が消えています。結果として、同じ段落を何度も読み直すことになります。
- ADHDの大人でも読解そのものが下がっているのですか?
- 2022年のParksらによる読解の文献レビューは、ADHDでは読解が全体として落ちているものの、課題の形式によって差が大きいと結論しています。とくに「物語の中心的な考え」を取り出す、内容を後で語り直すといった、複数の文を頭に保ちながらまとめる作業で差が大きく出ます。
- デフォルトモードネットワークと読書はどう関係しますか?
- 課題に取り組むあいだ、脳は内向きの考えごと回路(デフォルトモードネットワーク)を弱めて、外の作業に資源を回します。ADHDではこの切り替えがうまくいかず、課題中もこの回路の活動がだらだら続くことが脳画像研究で示されています。文字を追っていても内向きの思考が並走するので、一段落分の内容が頭の前面に残らなくなります。
- 黙読より音読のほうが効くのは本当ですか?
- 効く人は多いです。音読は視覚、聴覚、発声の三つを同時に動かすため、内向きの考えごとに引き戻されにくくなります。実際、ADHD向け読書の解説でも、声に出す、指で文字を追う、リーディングルーラーで一行だけ見せるといった「外側の支え」が推奨されます。理屈は同じで、ワーキングメモリの仕事を外に肩代わりさせる戦略です。
- 読めない自分を責めずに済むには、どう考えればいいですか?
- 原因の正体を知ることです。読書中、複数の文を頭に保ちながら組み立てる工程に容量の限界があり、ここで詰まる。容量はがんばりで増えないので、対策は章単位で区切る、付箋にキーワードを書きながら読む、声に出す、聴く版に切り替えるなど、頭の外に処理の足場を置くことになります。同じページを3回読むのは脳の特性で、人格の評価とは関係がありません。